その話を聞いていた언더우드の心は熱くなりました。しかし、自分はインドに行こうと思っていたし、許可も貰ったので、自分とは関係ないと思いました。神学校も卒業して、インドの出発する前に医療勉強を少ししようと思いて待っていた언더우드は、今回は、이수정が宣教雑誌に書いた韓国への宣教師要請の書を読んだのです。
その時、언더우드は、強い力を感じました。アジアに行こうと思っていた、パウロをマケドニア人が招いたような、その強い招きを感じて、インドから、韓国に宣教地を変えました。
しかし、宣教本部から、その許可が出ませんでした。それで、やむを得ず、再び、インドに向かうべきかと思った時、ある声が聞こえました。『パウロはマケドニアに行きましたが、あなたはなぜ行けないのか?Why not go yourself? No one for Korea? How about Korea?』
結局、언더우드は、アメリカの長老教宣教本部から1884年7月28日最初の韓国宣教師として任命されました。
それは、19. すなわち、自分を全く取るに足りない者と思い、涙を流しながら、また、ユダヤ人の数々の陰謀によってこの身にふりかかってきた試練に遭いながらも、主にお仕えしてきました。
19. 곧 모든 겸손과 눈물이며 유대인의 간계로 말미암아 당한 시험을 참고 주를 섬긴 것과
24. しかし、自分の決められた道を走りとおし、また、主イエスからいただいた、神の恵みの福音を力強く証しするという任務を果たすことができさえすれば、この命すら決して惜しいとは思いません。24. 내가 달려갈 길과 주 예수께 받은 사명 곧 하나님의 은혜의 복음을 증언하는 일을 마치려 함에는 나의 생명조차 조금도 귀한 것으로 여기지 아니하노라